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満洲、遥かなり 東郷 秀憲
平成26年5月27日
清朝最後の王族(東洋のマタ・ハリこと川島芳子の妹)が95歳で亡くなった。彼女は、戦前、学習院に留学し戦後は日本語学校を経営した親日派であった。
満洲国は中国共産党が抹殺したい歴史。それゆえ戦後は、偽満洲国と呼んでいる。中国共産党は、チベット、ウィグル、内蒙古、満洲を戦後自分達のものとしたが、正当性は全くない。確実な事は、中国共産党の体制が崩壊し住民が自ら意志を表明する事ができるのならば、これらの地域は中国に留まらないということである。(満洲は同地域に住む満州族が少数派なので難しいかもしれない)
90年代はじめに「赤い夕日の満洲」を見たくて満洲を訪れた。満洲を旅した際に、何故かしら郷愁を感じたものだ。それは満洲に関する書物を読みふけっていたからかもしれないが、それだけではないと思う。
久しぶりに満洲帝國時代の建築を訪れたいものである。映画「ラスト・エンペラー」で映された建物の多くが未だに現存している。残念な事に周りの風景は変わってしまったが・・
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引用記事:
愛新覚羅顕キさん死去 中国清朝の粛親王善耆の末子
愛新覚羅顕gさん(あいしんかくら・けんき=中国清朝の粛親王善耆の末子)が26日、北京市内の病院で死去、95歳。「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子の妹。清朝王族の最後の生き残りとされていた。
1918年、清朝の王族、粛親王善耆の末の王女として生まれ、日中戦争のさなかに日本留学。戦後は北京で翻訳者として働いた。50年代、海外帰国者や資産家らが標的とされた「反右派闘争」で逮捕され、15年の服役と5年以上にわたる強制労働を経験。文化大革命後に釈放された後、北京の史料館で働きながら日本語学校を設立するなど、日本語人材の育成にも尽力した。
86年、日本語で「清朝の王女に生れて」を出版。日本人の養女となり、清朝再興を目指して日本軍の情報活動に関わったとされる姉、川島芳子との思い出や、日中の激動の時代を生きた半生をつづった。(平成26年5月26日 朝日新聞)
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文筆:東郷秀憲(東郷秀憲の国益コラム)