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ホンダF1復活 日本復活の年に 東郷 秀憲

平成25年3月29日

 ついにこの日がやってきた。ホンダがF1への復帰を示唆した。しかもマクラーレンホンダとして復帰する可能性が高いという。私は、第二期F1活動以来のホンダファンである。10月に鈴鹿で開催される日本グランプリにも毎年観戦に訪れている。
 マクラーレンホンダは、かつてアイルトンセナ、アランプロストという最強のドライバーを擁して16戦中15勝するという圧倒的な強さを示したチームである。あまりに一人勝ちする為にホンダのターボエンジンが標的にされて翌年からはレギュレーション(ルール)が変更された。今思い起こせば日本人や日本企業が勝ち続けるとルール変更を余儀なくされる最初のエピソードだろう。
 ルールの変更といえば、ノルディックスキーのジャンプ競技を思い起こす人も多いだろう。船木、原田が活躍した長野オリンピックの後に突然ルールが変更されて殆どの日本人選手のスキー板の長さが短くなってしまった。このルール変更は身長が低い日本人選手を標的にしたと当時言われた。日本人選手は欧米人よりも平均的に低いので日本人選手は圧倒的に不利になり、その後の低迷は現在まで続いている。次の標的は日本人として初めての快挙であるワールドカップ年間総合優勝を成し遂げた高梨沙羅選手かもしれない。
 F1もノルディックさらに言えばオリンピックもそもそもヨーロッパ発祥。ヨーロッパの貴族や金持ち連中が利権を握っている。それゆえ、欧米以外の選手は不利なのだ。サマランチやバーニーエクレストンという名前を聞くと、民主的な話し合いの中でルールが決められるとはとても思えない。サマランチは亡くなったが息子もIOCの幹部だ。バルセロナでオリンピックが開催された事はサマランチの出身地である事と無関係ではないはずだ。バーニーエクレストンの意向を無視してF1界に名誉ある席を確保するのは、開催地を目指す自治体 もチームとして参戦したい企業も不可能だろう。
 昨年末に、民主党の素人政権から自民党のプロ政権に政権が交代した。野党もこれまでの左翼野党ではなく、日本維新の会、みんなの党など健全な野党が勢力を拡大した。今の勢いでいくとデフレから脱却し、株価も賃金もさらに上昇しそうである。平成25年(2013)は新たな日本の時代が来そうな予感がする。将来、歴史を振り返る時にターニングポイントになった年だと記憶されるかもしれない。かつて日本が元気があった頃にヨーロッパのプライドを葬ったホンダターボエンジンが復活するとなれば気分まで前向きになってくる。
 一日も早く鈴鹿サーキットでホンダのピットシャツを着て日の丸をふって応援したいものだ。



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文筆:東郷秀憲(東郷秀憲の国益コラム


 
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